『サイレント・ブレス』冬幻舎・南杏子著

 最近読んだ書籍から。

 結局、延命装置をつけるかつけないかということは、本人の問題というより身近にいる家族、本人を大切に思っている周囲の人の問題なのだと思う。

 なぜなら、たとえ延命治療を拒否する遺言を本人が残したとしても、実際その場面になれば本人が意思表示をすることは難しい場合がほとんどであり、その選択は身近な家族に託されることになるのだから。

★生の延長上にある死、でも永遠の隔たりが

 自分の死の選択ならともかく、他者――家族の場合でもあるのだが――の死の選択を自分に委ねられるとしたらどうだろう。まもなく死を迎える人を苦しませず穏やかに全うしてもらいたいと願っていたとしても、延命装置のスイッチを切ることに、自分は躊躇しないだろうか。

 人は、眼前で横たわり呼吸している人間と、その人がまもなく死にゆくということが結びつけられないのかも知れない。その人の死がほんの数分先のことであったとしても。死は生の延長上にあるとはいえ、実はそこには永遠に近い隔たりがあるのかも知れない、と思う。

★家族の思いだけで進行するわけでない現実も

 それを表現してくれているのが、本書目次の「プレス6 サイレント・ブレス」の主人公水戸倫子の母親の行為ではないだろうか。彼女は夫(倫子の父親)が、いっさいの延命治療を拒否する遺言書を残したにもかかわらず、それをかくして夫の延命治療に立ち会ってきた。

 いよいよ最期を迎えつつある夫を、医師である娘倫子といっしょに自宅に連れ帰った際に、「もしかしたら元気になるかもしれない」とまで言う。それは願望でありはするが。そんな願いを捨てきれない家族に、延命装置を拒否する選択肢はありえないだろう。

 だがしかし、家族の思いだけでコトは進行するわけではない現実もある。食べ物が摂取できなければ医師から胃瘻を勧められ、呼吸や薬液の注入のためにカニューレの設置を勧められる。本書では、自力で摂取できない寝たきりの患者に1日1,500mlの輸液を行なっていた。

★一度設置した装置は外せない、と言われる

 こうして、あれよあれよというまに患者はチューブでつながれ、延命装置といわれる装置にがんじがらめになるという現実もある。

 もう20年近く前になるが、私が父の危篤の知らせを受けとり、東京から新潟の入院先の病院へ駆けつけたときは、父はすでに人工呼吸器をつけられ、チューブを抜くのを防ぐため両手にはミトンをかぶせられていた。

 私を認めた父は手と口元を動かして、この呼吸器を外して欲しいと訴えた。あまりの辛そうな表情に、主治医に外せないか聞いたところ一度設置したものは外せないのだという。その2日後、父は身罷った。あの時の父の訴えるような表情、息遣い、病室の空気感は苦渋の気持ちを伴って今も鮮明によみがえる。

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